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ポップな、工芸

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Curator 秋元雄史 @akimotoyuji
作家 
野田怜眞 @ryoma_noda
渡邉泰成 @taisei__watanabe

❏会期5/17(土)〜7/27(日) 月.火曜休み
会場 ASTER Curator Museum
入館料 500円 ※学生無料

❏『ポップな、工芸』開催記念公開トークイベント
受付:16:00〜16:30
トーク:17:00〜18:30 
秋元雄史、野田怜眞、渡邉泰成
会場 ASTER Curator Museum


タイトルを書いていてこんな工芸が果たして成り立つのか、考えた。「ポップな、工芸」――。今回の野田怜眞と渡邉泰成の作品を思って連想した言葉である。こだわりは、「ポップ」と「工芸」の間に一拍置くところであり、この辺りに迷いというか、隙間が見えるところである。今更「ポップ」か、と思うだろう。世間では生きている言葉であるだろうが、美術的にはすでに過去の言葉である。「ポップ」は細分化され、消費文化の姿として大きく捉えることすら、もはやない。
実は日本工芸史の中では伝統工芸の陰に隠れがちだがアメリカのポップカルチャーから影響を受けて生まれた工芸が存在した。例えば中村錦平や三島貴美代の作品である。戦後の日本社会は、アメリカ文化の影響の下、さまざまな新興の価値観が流入した。その最大のものが消費文化である。消費が是とされ、どんどん捨てることが推奨された。ポップで、軽いものがアートの対象になり、安価な商品が逆にアイコニックな魅力を発すると考えられた。消費の刹那に美が存在する、そして大衆性が芸術的崇高を超えるという幻想。
これは半ば悲壮な思想であるが、消費社会が続く限り、そしてそれが高度化する限り、続く。そしてその証拠にポップなものは現代アートの中で大きな潮流となって現在にまで脈々と続いている。
工芸界ではというと、ポップが伝統に対する反動としては存在したが、中心に出ることはなかった。実際先に挙げた中村も三島も工芸より現代アートの文脈で評価された。
長い前置きになったが、野田と渡邉の作品についてである。2人は工芸的技術を巧みに操りつつ、一方で引用するイメージは極めて現代的で、ポップなものを基調としている。二人が今の時代を見ようとすれば、自然な成り行きで大衆性と消費のメカニズムに目が行くのだろうし、量産品や規格品の姿をした物のあり方に、素直にシンパシーを感じるだろう。たとえ2人が伝統工芸への憧れがあろうとも、自分の周辺にあるものは、規格品であり、日用品であり、石油原料の消耗品なのだ。自然素材や手作業で生まれた工芸品などは皆無である。
工芸を志すものは、最初からこの相反する両儀的な価値観に引き裂かれている。野田も渡邉も現代と伝統の間で引き裂かれている。
さて冒頭で例に挙げた60年代、70年代に活躍を始めた中村や三島のスタンスと現代に登場した野田,渡邉のそれとが、どのように異なるのか?それは、「消費文化」が社会の潮流に駆け上がった時代と下り落ちる時代の違いの違いとして指摘できるであろう。
隆盛を誇るものと衰退するもの。登る太陽と沈む太陽。どちらの時代に生きたかである。
ただ、下りの時代だからといって野田と渡邉が悲劇的であるわけではない。案外、沈む太陽の方が大きく輝いて見えるものだ。沈む時代もまた上る時代にも増して魅力的なものだ。そんな時代の作品だからか、2人の作品は、ゲーム的で、遊戯的で、覚めており、乾いて、クールである。日常性の中で作品が存在する。だが、やけに写実的で装飾的なのだ。そして技巧という熱を帯び、それ自体がマニエリスティックに自転している。バナナ,風船,釘,円盤という何気なく、しかし、やけに技巧的なものが並ぶのである。

秋元雄史

野田怜眞
2019年3月 東京藝術大学 工芸科 卒業
2021年3月 東京藝術大学 修士課程工芸専攻漆芸研究分野 修了
2024年3月 金沢卯辰山工芸工房 研修者 修了
 現在   東京芸術大学 教育研究助手

渡邉泰成
1996 愛知県生まれ
2024 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了
現在 金沢卯辰山工芸工房 在籍

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